皆様もご存知のとおり江戸時代には大判や小判をはじめ多くのお金が鋳造されまた。
当時流通したそれらのお金には金や銀が含まれておりますが、金や銀の価値以上に希少価値が高く、現在の価値ともなれば高い物で数百万円にもなるものがあります。
江戸時代中期から明治時代までに通用していた金貨と銀貨の総称を古金銀と呼び、一分判金、一分銀、一分銀、二朱判金、一朱銀などの種類があります。
そこで今回は江戸時代に鋳造された金貨の中から一分判金の価値と見分け方についてご紹介を致します。
江戸時代に鋳造された一分判金には、全部で11種類の一分判金があります。
それらは、
・慶長一分判金
・元禄一分判金
・宝永一分判金
・正徳一分判金
・享保一分判金
・佐渡一分判金
・元文一分判金
・文政一分判金
・天保一分判金
・安政一分判金
・万延一分判金
です。
そのほか、額一分判金もありますが、鋳造年が1599年であることから豊臣秀吉により鋳造されたとされ、これまで太閤一分金または大阪一分金て呼ばれていましたが、この額一分判金の縁が点で囲まれた額縁様になっており、裏面は「光次」の文字と花押があることから「額一分判金」と呼ばれるようになりました。
この「光次」とは、徳川家康の金貨製造の専任で後藤庄三郎光次のことです。代々、御金改役を世襲しており一分判金の裏面には「光次」の花押が刻印されています。
ちなみに、この額一分判金は、状態が良ければ400万円もの値がつくこともあります。
以前、ヤフオクで1,000万円で出品されていたことを覚えております。
慶長一分判金も価値が高く、状態が良ければ、150万円前後の価値が付くものもあります。
一分判金とは下の写真の古銭のことをいいます。
見分け方は簡単で、形は長方形で、縁には額と呼ばれる点模様があり、表面に「五三桐紋」と「一分」、裏面にはさきほどご紹介しました「光次」の花押が刻印されています。
また、裏面右上には鋳造された年代を示す「年代印」が刻印されています。
中には年代印の無い一分判金もあります(^^♪
もちろん、金と銀が含まれていて金が57%、銀が43%です。
重さは、2.8gです。
こちらは天保一分判金の表面です。
表面に「五三桐紋」と「一分」が刻印されています。
裏面には「光次」の花押と「天保」を示す年代印が刻印されています。
天保一分判の価格は、状態が良ければ、6万円、状態悪いとその半額の3万円ほどになります。
また、逆打ちの天保一分判金ともなると、なると25万円にもなります。
この逆打ちとは、表面と裏面で本来向きが同じであるはずの刻印が逆になっているエラー判金を言います。